はっきり言って、スペックで言うと負ける気はしない。底辺から這い上がってきたバイタリティに、ゼロから団体を立ち上げて成功させた経験もある。世界の有名大学に留学だってした(交換だけど)。英語もそこそこ話せるし、学歴も申し分ない。GPAも高い。プログラミングの教養だってある。
それでも、日系大企業はほとんどESで落とされた。外資を含めると30社近く受けたが、面接に進めたのは僅か6社だけ。この売り手市場でだ。Webテストができなかったから、仕方がないと言えば仕方がないが。面接を受けても一次で落とされる。二次に進めたことが、2社の除けば、一度もない。
周りを見てみると、唯一の就活仲間の友達は、大手新聞社に内定(40歳で年収は1000万円を軽く越える)、留学中の知り合いを見渡してみれば、大手シンクタンク、米系投資銀行と華やかな内定先となっている。新卒切符を活かせたと言える。嫉妬していないと言えば、嘘になる。僕は真人間になりたかった。そのために必死に頑張ってきた。なのに、誰もそれを評価してくれない。本当に惨めになる。
ちなみに言うと、その友達の家は都心のタワマンだし、家族で年一回は海外旅行するくらい円満で、兄だか弟だかが東大生で、本人は特に欲してないのにアメリカ生まれで永住権を持っている。はっきり言って羨ましい。憎らしいことに、本人の性格も良いし、人間出来ている。友達も多い。考えざるを得ない。「どうしてそういう家に生まれなかったんだろう?」
結局失敗の原因を考えてみると、「この人と一緒に働きたい」と思わせられなかった、もしくは「上司に通す(二次に進めさせる)程の魅力を感じなかった」の2つに集約されるのではないか。第一志望に限って言えば、前者で落ちたのだろう。前者は仕方がないが、問題なのは、後者だ。変わり者を通せば、その人の社内評価が悪くなる。僕のような人間は、変わってると面白がってくれるかもしれないが、それだけだ。上に通したいとは思わない。それにしても、百歩譲って落とすのは良いとして、せめて理由くらい開示するように法改正して欲しい。そしたら、悪いところを直せるから。
その点、経歴に何の汚点もない人間は、ポンポン進む(実際その友達は書類で落ちたのは1社だけだ)。日本の採用は減点方式だ。上司に見せても問題なさそうな人間が好まれる。働いた経験もないから、まっさらな状態だし、将来性が感じられる。でも、職歴のある人間は、その色眼鏡で見られるから、異業種への転職のような目で見られてしまう。新卒採用なのに。
この5年間を振り返ってみる。何の意味がなかった。友達もできず、何か成し遂げたわけでもない。5年間の時間と学費650万を溝に捨てた。学歴なんて何の役にも立たなかった。一流と言われる大学に入ることで、真人間に戻れたつもりだったが、甘かった。社会はそんなに甘くない。一度レールから外れた人間は再起できないことがよくわかった。社会への怒りと自分への怒り両方ある。
一つ救いなのは、内定はあること。でも、大学に入学する前と何も変わらない。業界も、職種も。救いなのは、少なくとも露頭に迷うことはない。それなりに有名な会社だし、給料も激務なりに「世間一般」(平均値という意味)からすれば良い方だ。もちろん、エリート層には全く及ばないが。でも、多分、大学に入った意味は一切なかったよ。アイプロミスユー。この会社なら、頑張れば十分転職できたはず。第一志望とは二段階くらい落差がある。第一志望がAだとすれば、この会社はCだ。新卒ゴールデンチケットは invalid だった。
でも、その会社に内定もらったのは、もう8ヶ月も前だし、じゃあこの8ヶ月の頑張りは何だったの?と思う。遊んでりゃよかった。ついでに言えば、大学入学当初毛嫌いしていた会社で、まさかこの会社に行くことになるとは夢にも思わなかった。そういう点が、縁なんだろうけど。ここからしか内定貰えなかったし。
就職浪人はしない。これ以上大学に居たくない。意味がない。モラトリアムがなくなるのは嫌だけど、もう惰性で学費は払っていられない。
第一志望に行きたかった。本当にそう思う。転職にもチャレンジするつもり。でも、新卒ですら入れなかったから、転職で入れるとは思えない。報われたかった。この5年間の頑張りを評価してほしかった。されるべきだった。人より苦労した分、「よりよい人生」が待っているはずだった。やりきった感が欲しい。納得感が欲しい。
努力は報われない。
これからどうしよう。現実が受け入れられない。